優しさは訓練するもの

★やさしさは訓練するもの★
 
「星のまなびば」を開催するリーダーを
資格制度で認定するか?しないか?
迷い続けている昨今、
司馬遼太郎の言葉にはっとする。
~優しさは訓練で身につけるもの~
 
「星のまなびば」は占星術の知識があるだけでなく
自分につながって愛から場を創造できる人に、
リーダーをお願いしたい。
これは我儘と批判されても
立ち上げた私の譲れない信念だ。
そして共に立ち上げてくれるチームの願いでもある。
 
昨年までは善意で「つかって!」と手放してたけど
アイデアだけを与えて放置するのはどうだろう?
場で何か起きた時、私は責任を感じずに
「それ私に関係ないですから」と割り切るのだろうか?
場を創る人に愛があるか?
混乱が起きた時に乗り切る力量があるか?
相手の能力をどのように識別するのだろう?
ある年長者に相談したら
「資格制度で稼ぎたくないのもわかる。
 でも創立者の責任はどう果たすの?」と言われ、
ここにきて資格制度も視野にいれてる。
司馬遼太郎のいうように「優しさは訓練が必要」ならば
「誰にでも愛がある!」と性善説で
著作権フリーにするのではなく
相手の個性や本音を聞き出して、源をクリアにすること。
その上で「場に集う多様性を愛する」訓練は大切なのだろう。
 
チームで対話を重ねながら、
みんな必死に手探りしてくれてる。
共に考えてくれる仲間は、本当にありがたい。
まだ答えはないけど、夏までには決めたいね
今月二回、リーダー志望者の声を聴く。
それまで、エルダーの言葉を探りながら
自分の意識を開いていよう。
 
自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。 
このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。  
助け合うという気持ちや行動のもとは、いたわりという感情である。 
他人の痛みを感じることと言ってもいい。 やさしさと言いかえてもいい。
「やさしさ」
「おもいやり」
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
みな似たような言葉である。
これらの言葉は、もともと一つの根から出ている。 
根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をして
それを身につけねばならない。 
その訓練とは、簡単なことだ。例えば、友達がころぶ。
ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、
そのつど自分でつくりあげていきさえすればよい。 
この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、
他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。 
君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、
二十一世紀は人類が仲良しで暮らせる時代になるにちがいない。 
~司馬遼太郎 21世紀を生きる君たちへ。
 
 

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